ここでは、『ゴジラ −1.0』に登場するゴジラについて解説する。
「その怪物は、許しちゃくれない」
小笠原諸島の一つである大戸島周辺の海を縄張りとし、近海を回遊していた島の伝承に伝えられている再生能力を持つ大型海洋生物「呉爾羅」が、1946年夏にアメリカ軍による核実験の際、ビキニ環礁にて行われたクロスロード作戦による放射能の影響を受けて変異した姿。通称マイゴジ。
概要[]
身体の表皮は原子爆弾によって焼け爛れ、放射性物質が体表の奥深くまで紛れ込んだ結果、エラーに次ぐエラーが表皮の細胞に発生し、元の姿を取り戻せないまま再生能力が暴走したかのように以前の姿を遥かにしのぐ巨体に巨大化した姿である。襲撃後の船に残った皮膚組織からは、大量の放射能が検知されている。
顔にある損傷と再生によって負った傷が特徴的である。新生丸の機雷によって傷を顔面に受けた後には、酷い損壊によって再生機能にエラーが生じて牙が頬にまで生えている。神々しさを感じさせる直立して胸を張った姿勢で、小さな頭に足が太い三角形に見えるフォルムで、足は(鳥のような)獣脚になっているほか、肘には爪状の突起が生えている。その再生能力は生物として並外れており、固い表皮を仮に破られて頭部を欠損してもものの数秒で再生する。
武器の放射熱線を放つ際には、原子爆弾のインプロージョン方式のように背びれが尾から順に伸びていき、一気に沈み込んで吐くものとなっている。なお、放射熱線を放つたびに自身の頭部にもダメージを与え、顔が焼けては再生しており、それゆえに再生が追いつかなくなるため、連射は行えない。
ただ、水中においては体が冷却されるためか、陸に比べて発射間隔が短くなることが示唆されている。
劇中では[]
1945年、大戸島の守備隊基地を全高15メートルの大きさで襲撃し、敷島浩一少尉と整備兵の橘宗作以外の整備兵全員に襲いかかり、死亡させる。
1947年、太平洋にてアメリカの船舶を襲った後、小笠原諸島近海にて敷島らの乗る特設掃海艇・新生丸と遭遇し、新生丸と行動をともにしていた海進丸とシンガポールから急行した高雄を沈没させた。その後、東京湾から東京に上陸して品川を経て銀座まで進攻した際に放射熱線を放ち、国会議事堂周辺を蒸発させて壊滅的な被害をもたらす。
数日後、相模湾に出現した際には野田健治の提案した海神作戦により、深海1,500メートルまでの急降下と急上昇による減圧・加圧を繰り返され、表皮にダメージを負う。最終的に、機関砲を一部降ろして機内に250キログラム爆弾2個と500キログラム爆弾を搭載した震電を敷島が操縦し、放射熱線を発射寸前の口内に特攻して自爆(敷島は寸前で脱出)した結果、頭部を完全に爆破されて放射熱線のエネルギーで内部から自壊し、海底へ沈んでいった。
……のだが、海底でその肉片が徐々に再生を始めていくシーンで物語は幕を閉じる。
制作[]
身長の設定については、監督の山崎貴による「50mくらいだと見上げた時に目が合う感覚もあるし、ゴジラと人間を一緒に撮ることもできる」との意向のもと、CGモデルの発注当初は50mとされていたが、完成したものを正確に計測してみると10cm高かったため、それを採用して50.1mとなった。山崎は『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』でも、従来の怪獣よりも小さかったことで、人間との対比がしっかりと描けるから怖さを感じられたため、背景を作り込めて画の情報量が多くなる小さな怪獣ほど怖さを演出しやすいというが、小さいから怖いとはいっても50メートルの初代ゴジラより小さいと「ゴジラ」の風情がなくなるということもあり、初代に合わせた大きさになったという。過去のゴジラ映画は、すべてが制作された時代を舞台とした現代劇であったが、本作品では初めて時代劇となっている。これについて山崎は、ゴジラが昔の建物に合わせて小さくなったわけではなく、小さくしたいから昔を舞台にしたという。
山崎は、本作品のゴジラには生息地が戦争で荒らされていることへの怒りがあるといい、細胞が核の火によって破壊され、再生しようとしてエラーが多発している状態になったことから、さらに怒りが大きくなり、東京へやってきたという。アメリカの核実験でやられたのに日本に来るのはおかしいと疑問に感じたというが、ゴジラを「祟り神」であると考えれば、日本人にとっては腑に落ちるというほか、ゴジラの怒りは人間が持つ怒りとも少し異なっており、制御できる性質のものではないため、どこでも暴れ得る。そのゴジラを迎え撃つ日本人は、「祟り神」の怒りを海で収めるという儀式を行って鎮まってもらうものであるという。
山崎は、本作品のゴジラで最も苦労してこだわったシーンに歩き方や電車車両のくわえ方を挙げており、特に後者は初代ゴジラのくわえ方を参考に自分の手で電車車両をくわえる動きを撮影し、アニメーターたちと彼らなりの解釈を交えながらやり取りして作ったという。大戸島にて整備兵たちを殺害するシーンについては、東宝によるゴジラのレギュレーションにもある「ゴジラは人間を食べない」を踏まえ、残虐な生物であるが荒ぶる神でもあることを表現するために「噛みついた後に吐き捨てる」との描写にした。また、放射熱線を放つ際の背びれのギミックについては、参考としたインプロージョン方式のように一つに集まるイメージが欲しかったことから、予備動作として儀式を盛り上げるような要素を考えた結果、思いついたという。震電がゴジラを誘導した際の農村の風景については、当初は『シン・ウルトラマン』のデータを利用しようかと考えていたが、現代の風景やデータの重たさから実際の作業を考えて断念し、ロケ地にドローンを何回も飛ばして写真を多々撮影してもらってから構築する方法で作ったが、細かい箇所は上手くいかず木を植えたりする作業が必要となり、予定にない作業なので自分が担当したという。
企画・プロデュースの岸田一晃は、これまで培われたゴジラ像から離れた異端ともいうべき『シン・ゴジラ』のゴジラに対し、本作品ではこれまでの約70年の歴史の中で描かれたゴジラへのリスペクトを持ち合わせつつ、より強くより怖い正統派のゴジラを目指したという。
岸田は、本作品は人々が生を追求する物語である以上、直接的に人間に対して危害を加えて死なせる描写を表現することで、ゴジラという存在の恐ろしさを描いているという。
デザイン[]
デザインスケッチは山崎、デザインはモデリングアーティストの田口工亮が担当。本作品のゴジラはフルCGで描かれている。
当初は『ゴジラ・ザ・ライド』とは異なる方向性のデザインも検討されており、獣感の強い細身体形で前傾姿勢のものもあり、かかとを浮かせた足の形は最後まで引き継がれている。そのほかにも、背びれが現在よりも目立つもの、俊敏そうな鳥足のような脚をしたもの、半身をビキニ環礁で被爆してその半分がゴジラのようなもの、もう半分がケロイド状のものなど、試行錯誤が重ねられた。顔の肉が機雷で取れてからは、エラーが細胞再生に生じて骨や牙が見えたスカーフェイス状態になってしまうものも考えられたが、後半にずっとその顔で登場するのはどうかと思い、なくなった。
本作品のゴジラは細胞が再生するが、あまりにも酷いダメージを受けると完全に再生できずにエラーが出るというものとなっており、一度ビキニ環礁の原爆実験によって強烈なダメージを受け、再生しようとしてこの姿になったという設定のため、新生丸の機雷や高雄の砲撃によって再生した部分は他と顔の色が異なることから、ある程度ディス・イズ・ゴジラという部分は大事にしなければと思い、初代『ゴジラ』に近い時代設定にしたということもあり、変化球なデザインでは無い王道的なゴジラにしようと決めていたため、最終的に理想的なゴジラであった『ゴジラ・ザ・ライド』のゴジラが一番良いと判断し、それをブラッシュアップしたものとなった。
モンスターバースの前傾姿勢のゴジラは戦う気満々であるが、首が立った日本のゴジラは半分は神様であることから、基本的には直立しており、人間のようには見えないように足は獣脚となっている。
『シン・ゴジラ』では長い尻尾は特徴的であったが、本作品のゴジラはそうでもない長さだという。だが、素早く尻尾が振り回されると街に大変な被害をおよぼすものとなっている。
『シン・ゴジラ』では人間のような目であったことから、本作品では当初は半月形の「ゴジラ目」にする予定であったが、田口が人間のような目に何度もしていたため、怖い目であるとだんだん思えてきて、田口のこだわりを活かすものとなった。
造形・表現[]
山崎は、『ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦』の映像を作った際に怖さが距離の近さであるということを思ったといい、距離が近いのはスーツが人間に近づくとディテールのバレが出てしまうが、デジタルであると情報を寄った分だけ追加していけるといい、できるだけデジタルにしかできない表現を入れないとデジタルにした意味がないため、序盤で大戸島に出現したゴジラの攻撃方法はデジタルゆえの距離の近さであり、相互関係が作れるという良さであるという。
ある程度は恐竜のような動きをできるようにして、感情的になった際には激しく体を動かすが、ハリウッドのゴジラのように野獣的に戦うのではなく、神様と獣の両方を兼ね備えた存在という意識であると考えたという。
関連項目[]
『ゴジラ -1.0』
似たような奴ら ゴジラ(GMK) ゴジラ(ザ・ライド) ゴジラ(3丁目)